六浪からの合格


六浪しての合格です。六年と一口に言いましても、いろいろございました。開業医受難の時代、何が何でも跡を継がせたいと思っていたわけではありません。が、その迷いが浪人生活を長引かせてしまったのでしょう。本人の様子も、友人たちが大学生となり、就職活動まで始めるのを見て、焦りや気落ちが見て取れました。それもあって一度は医学部以外に入学させたものの、留年の危機から休学。結局は諦めきれず、割り切れず、在学受験を試みたことも今思えば遠回りでした。

さまざまな医学部専門の予備校、塾、家庭教師にお世話になりましたが、ようは単に勉強を見てくれるだけ。息子よりできる現役生の話など聞かされ、励みにせよと言われても、ではどうすればいいのか。

医道会を知ったのは、大学休学中の本当に行き詰まっていた頃でした。医学部専門のトッププロの先生に、直接コンサルティングをしていただけるという言葉にすがり、洗いざらいお話いたしました。私立医学部の中でも帝京医学部、埼玉医科もしくは獨協大学医学部、そして結果的に合格をいただいた川崎医科なら絶対、という感触を得ました。

医道会の先生のノウハウ、知識は並大抵ではありませんでした。年々、刻々変わる各医学部の入試内容に対するきめ細かい研究、受験者の動向など、医学部受験の現状を知り尽くしておられます。学士入学や高齢合格者を出した経験も豊富におありで、それについても可能性をぎりぎりのところまで探ってくださいました。

あらゆるデータを提示していただき、本人も納得いったのでしょう。大学を退学して医学部受験に専念する、と思い切ることができました。それからの二年間は、まるで新たに入学した高校生のようにフレッシュな気持ちで勉学に励めたと申しております。

合格を果たした後に、医師会で親しい先生方と、つい苦労話に花が咲きました。普通に合格しました、と澄まして報告するには、六浪は長すぎるので・・・。打ち明けてみれば、受験期間の長短はあれ、悩みはいずこも同じ。恥ずかしいこともありませんでした。

医道会では、医学部受験を教育であると同時に、事業継承という事業の一部ととらえており、なるほどそこは明確に意識すべきだと思いました。他の大学受験のための教育機関では、最後のところで対応しきれないのは当たり前です。そしてその「最後のところ」で合否は非情に差がつくのでしょう。

しかし、かといって本人を過保護にし、やたらと手をかけるのは教育上、また効率的な合格、医師としての人格形成の面からも不合理である、という医道会の方針には家族共々、共感しております。

医師同士が受験のことを話し合わないのは、我が子の不出来を恥じるほか、こちらで上手くいった方法を勧めたところで、よそ様でどのような結果になるか、という配慮もありましょう。けれども税理士の先生や事業コンサルタントを融通し合うのはよくあること。中学三年生の息子さんのある親しい先生に、医道会をご紹介いたしました。日々の診察も手につかなくなるほどの悩みの深さを、誰よりも承知しているのは私どもですので。

(台東区在住 帝京大学医学部・川崎医科大学合格 保護者)